こんにちは、ぽんずです。
今回はガガガ文庫から出版されている「八目迷」先生の最新作『琥珀の秋、0秒の旅』の感想&考察です。
最初にかる〜く感想をお伝えすると、
面白い!現代×SFは間違いない。地元が北海道なので親近感が湧く。すっきりとした読後感。すぐ読み直したくなる作品だった。
こんな感じですね。後に詳しく書いていきます!
ネタバレを含む感想&考察になるので、読了前の方はブラウザバックをお願いします。
『琥珀の秋、0秒の旅』作品概要
あらすじ
世界の時間が止まるとき、二人の旅が始まる。
麦野カヤトは、高校の修学旅行で北海道の函館を訪れていた。内気で友達のいない彼にとって、クラスメイトたちとの旅行は苦痛でしかない。それでも周りに合わせてグループ行動を続けいていた、そのとき。
世界の時が止まった。
まるで神様が停止ボタンを押したみたいに、通行人も、車も、鳥も、自分以外のあらゆるものが静止した。喧騒が消え、静寂だけが支配する街のなか、動ける人間は麦野カヤトただ一人……かと思いきや、もう一人いた。
地元の不良少女・井熊あきら。
「あんま舐めたこと言ってたらぶっ殺すかんな」
口調も性格もキツい彼女は、麦野とは正反対のタイプ。とはいえ、この状況では自分たち以外に動けるものがいない。やがて二人は行動を共にする。
「琥珀の世界」ーー数日前に死んだ麦野の叔父が、そう呟いていたことを麦野は思い出す。叔父の言葉は、世界の時が止まったことに関係しているかもしれない。そう思い立った二人は、時を動かす手がかりを求めて、叔父の家がある東京を目指す。
時が止まった世界のなか、二人きりの旅が始まった。
『琥珀の秋、0秒の旅』より
感想
Xで『琥珀の秋、0秒の旅』が面白い!という感想を多く見かけたので、帰省の際に読んでみることに。
最近はシリーズ作品ばかりだったので、一巻完結作品は久しぶりで読むのが楽しみでした。
期待を裏切らない、面白く、考えさせられる物語です。
この作品の魅力も含めて、分けて紹介していきます。
タイトルに込められた意味
『琥珀の秋』は文字通り、世界が丸ごと琥珀になった(=時間が止まった)のと、その時の季節は秋だったことからきています。
どうして秋なのかと言ったら、八目迷先生の別作品の「きのう春で、君を待つ」「夏へのトンネル、さよならの出口」に続く作品だからでしょうね。
そして何より好きなのが『0秒の旅』という言葉です。
旅は長い時間をかけて行うものという印象がありますが、それに対して0秒という真逆の意味を持つ言葉がくっ付くことで読んでみたくなるタイトルになっていると感じます。
世界の時間が止まっていることを、直接的に伝えない言葉を使うところが好きです。
恋愛要素が少ない
今時のラノベ作品で、恋愛要素がほとんどないものってめちゃくちゃ珍しいと思うんです。
タイトルやあらすじから恋愛は絶対絡まってくるよなと思っていたのですが、予想は大外れ。
カヤトとあきらはお互いに好感を抱いていることをそれとなく伝える場面があるだけで、カヤトの人に触れられない病気も相まって特に何もなかったんですよね。
もちろん登場人物にも魅力は感じるのですが、それ以上に物語自体に魅せられた作品だと感じています。
絶望と未来への希望
絶望がトリガーとなって時間が停止し、未来への希望を持つことで停止現象を解除できる。これはカヤトとカヤトのおじさんが持つ特殊能力的なものですね。
それでは、なぜこの停止現象にあきらが巻き込まれたのでしょうか。
正直なところ謎です。
物語の中でも特に明記されていないので、”これ”という答えはないのですが自分の中で少し考えてみました。
まずはこの文章
一つ、たしかなのは、この現象が俺にとって都合がいいということだ。不便なことも多いが、生きるために必要な条件は揃っている。まるで、誰かが調整したように。
もしかすると、これは贈り物なのかもしれない。神様がくれた人生の休憩時間。もしくは、過酷な未来を生き抜くための猶予期間。
『琥珀の秋、0秒の旅』より
未知の『誰か』が存在していることがわかると思います。
そして、停止現象は「希望」を鍵として解除されます。
つまり、この停止現象の能力が与えられたのは能力者に「希望」を見つけてもらうことが目的ということですね。
カヤトやおじさんの身に何回も停止現象が起こっていることから、一度「希望」を見つけ出すだけではダメということが分かります。
⇨停止現象を生み出す能力は、一時的な「希望」のではなく安定した「希望」を持たせるために『誰か』によって与えられた力と言えるのではないでしょうか。
カヤトのおじさんに力を与えてみたが、未来への希望を持つことなく亡くなってしまい失敗に終わった。
⇨何回か停止現象から抜け出したことはあるものの、最終的には『時計は壊れたままでいい』(=時間が停止してままでいい)と言っているのが理由。
カヤトにも力を与えてみたが、何回も停止世界に戻ってきてしまう。
そこで『誰か』は一人で安定した「希望」を持つことは難しいと考え、他の人の力が必要であると結論を出した。
そこで選ばれたのが、カヤトが絶望した時に側にいて同じく絶望していた人物=あきら。
また、他にいきなりファミレスからサラダが消えると言った不可解な現象は起きていない(=描かれていない)ため、カヤトやおじさん以外に能力が与えられた人はいないと考えられます。
結論
以上のことを踏まえ、私が出した結論は
『誰か』は人間に「希望」を与えることを目的として、停止現象を力として与える存在。
その『誰か』が誰なのか、どうやって能力を与えているかは皆目検討がつきません。
『誰か』は停止現象を与えると「希望」を持つことができるのかを実験していた。その実験対象の1番目と2番目がおじさんとカヤトであった。
しかし、どちらも一時的な「希望」を持つことはあっても、安定した「希望」を持つことはなかった。
そこで、やり方を変えて他の人を巻き込むことに。
停止世界に入り込めるのは絶望という感情がトリガーになっているので、カヤトの近くにいて絶望してる人=あきらが巻き込まれた。
どうして、おじさんとカヤトが能力者に選ばれたのかは「ただの偶然」で事足りると思います。
ところどころ疑問を持つ箇所がありますが、筋は通っているのではないでしょうか。
最後の二文 -雪-
終章の途中で「十二月を迎える頃」という文が出てきます。つまり終章の舞台は十一月の下旬。彼らの世界は一〇月の下旬、11時14分36秒で止まっていたので、約一ヶ月が経ったことになります。
十一月って「秋」か「冬」か微妙なところですよね。
そこでこの文章
雪だ。
僕と彼女は空を見上げて、落ちてくる雪を、しばらく見つめていた。
『琥珀の秋、0秒の旅』より
そう、二人が再び出会った場面で雪が降ったんですね。
雪が降ると今まで「秋」だと感じていた季節もいきなり「冬」になったという感じがしませんか。
ここで初めて二人は『琥珀の秋』から抜け出せたのではないでしょうか。
すっきりとした読後感
読み終わった皆さんも感じたと思うのですが、終章があっさり終わってとても驚きました。
例えば、カヤトが記憶を失ってから普通の生活に戻るまで、戻ってからあきらに再び会うまでの行動、カヤトが突然いなくなった時のあきらの反応、再びカヤトに会うまでのあきらの行動、書こうと思えばいくらでも書けたと思うんです。
しかし、それはほとんど描かれていませんでした。
正直なところ、読みたかった。
しかし、このあっさりさが私が良いと感じたすっきりとした読後感を生み出しているんだよなーとも思い、なんともいえない気分になっています笑
うーーーむ・・・
馴染みのある土地
本作品は北海道のネタが多く、道民の私からすると共感できとても楽しませてもらいました。
青函トンネルも何度も通っています。
しかし、スマホを触ってたらいつ間にか入ってていつの間にか出ていると言った感じで特に意識はしていませんでした。
今度帰省するときは「ここがカヤトとあきらが歩いた道か」としみじみ思いながら帰ることにします。
暗いのと速いのとで何も見えないんですけどもね。
帰りながらもう一回読むのアリだな。
おわり
個人的にとても好きな作品でした。そのうちもう一回読みます。
もしまだ読んでいないよ!という方がいましたら是非に。
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